奇特なことに(と書いて気が付いたのだが、この言葉、辞書を引いても良い意味しか載っていないけれど・・もちろん私もその意味で使ったつもりだが・・近年、人を小馬鹿にするときに使う人がいるので、使うシチュエーションの難しくなった言葉ですねぇ・・)、このブログを読んでくださっている方からご質問も頂戴したので、そのうちの一つとして、定位の問題をちょっと考えてみたい。
そもそも、定位に決まりなどと言うものは無いので、各オペレータがミュージシャンと相談して決めて構わないかとも思う・・
たち位置のギターが下手にいても上手から音を出したからと言って、誰かが烈火のごとく怒りだす訳ではないし、損害を被るなどと言うものではない・・
が、大脳生理学とか脳神経学系の本を読んでいると、人間の脳は非常に多くの錯覚から成り立っていることが分かる。
視覚情報さえ過去に記憶したものを利用して補完されている。
例えば、有名な話だが、片足や片手を事故で切断してしまった方は、しばし幻肢痛で悩まされる・・まぁ、無いはずの指先がかゆいとか、痛い・・と言う奴だ。
これは非常に厄介で、ある鍼灸師の方は対応する逆側の手足を刺激すると効果があると仰っていたが、脳の中の幽霊という、本を書かれたチャランドラン博士による研究では、顔の片側に鏡を置き、視覚上両足があるように見せて、該当する逆側の手足を刺激すると、非常に効果があることが判明したらしい。
つまり、視覚情報として両方があるように脳をだますのだそうだ・・
そんな馬鹿な・・といいたいところだが、実際に効果があることを考えると、存外人間の知覚と言うのは大いなる錯覚で成り立っているものらしい。
その伝から類推するに、鏡の中の自分は常に若く、痩せて見える・・というのはそういうことか・・と納得してしまう・・写真ではがく然とするからねぇ・・
で、何を言いたいかと言うとだ・・ミュージシャンがステージに立ったその状態で、リスナーはすでに定位をその位置と脳に刷り込ませている・・と言う訳だな・・
で、それと全くちがう定位にした場合、かなり異様なものと認識されることは想像に難くない・・
ということは、見た目に定位を合わせる・・と言うのが、少なくとも自然なアプローチと言えると思う。
よく、邦楽はこうあるべきとか仰る方がいるが、現実のイベントとしてそのように座れていないなら無理がある話・・理想通りに座れないと言う制約があったらそれを素直に受け入れてそのままで出した方がトラブルも少ないと思う・・(まぁ、うるさい重鎮からは苦情を言われそうだが・・)
まぁ、定位と言ってもミキサーのパンポットで簡単に決めることが多い訳だが、管理人の場合、ハウスの音にディレイを施してすべての生音よりハウスを後から出すことでより自然な低位を狙う。
これも、人間は先に聞いた音の印象で後から出た音も判断してしまうと言う脳の錯覚現象を利用している。つまり、PA臭さが少なくなる。
まぁここではハース効果の話は止めておこう・・あれは懲りだすときりがないし、リスナーと演奏者の位置関係が大規模会場などでは複雑になってきて狙い通りに行かないことも多い・・
そうそう、ハース効果は社会主義国で開発されたって知ってます?
党員総会などの大規模集会で明瞭度を確保するために研究されたらしいのよ・・
う~ん・・想像するとすごいものがありますよね・・
実際、宗教団体の教主の説法などで利用するとリスナーのものすごい意識の集中が起こると伺ったことはある。
まぁ、実際にパンの定位なんかはスピーカー間距離の方がミュージシャン距離より離れているので、若干オーバー気味にすることが多いんだけどね・・
ステレオ拡声は一時ずいぶんと賛否両論があったものだ。
曰く、ステレオにすると端に座った人がバランスが悪い音を聞くことになる・・云々・・
まぁ、モノラル拡声はヘビメタなどでど迫力の塊感のある音を出すためにわざと使用する場合もあるのだが、端に座った人ってそもそも端に座ったことによる視覚的なアンバランスを前提にしてしまっている・・脳が・・と言う問題もあって、存外ステレオ再生でも苦情は出ないもんだ・・なぜって・・見たままのバランスだから・・
と言う割り切りもプロとしては考慮に入れておいていいかと思う。
ああ・・んと・・何でも切り捨てろ!と言う訳ではないけれどさ・・
ヘッドアンプのゲイン調整などと違い、こうしなければ・・と言うようなものではないし、誰かそれでけが人が出る等と言う問題ではないので、結局各自の感性でという話ではあるのだけれど、ナチュラルな音・・と言うのを意識する場合は是非ご参考に・・
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