最近、某所でBGMのお話があったので、あらためて考えてみたい。
BGMというのは面白いもので、積極的に聞かせたいのかそうでないのか・・よく分かりがたい存在だ。
その名の通りバックグランドで鳴っているため気がつかない人は全く気がつかないが、妙に神経質な人は非常に嫌ったりする。
で、BGMを鳴らすシステム考える場合、通常は設備音響と言われるジャンルの次いで仕事になってしまっていることも多い。
まぁ古いPAの本でもゾーン分けして目標音圧分布からの要求出力を割り出して適合アンプを割り当てるだけ・・ひどい場合は消防法上の規定を満たすだけ・・なんて建物も多い。
本質的には非常放送の目的は非常時に明瞭に指示を伝えること・・が、目的であってBGMを鳴らそうなどという意図は全くない・・もちろん鳴らすだけなら確かに鳴らせるんだけど・・実際には中音域に偏った非常に苛つくとてもBGMとは言えない音になってしまっていることが多い。
で、別途に構内放送システムを持っている所では、概してこれでBGMを鳴らしていることが多い。
が、これとて館内呼び出しや、案内を目的にした設計なので、当然明瞭度を上げるため中音域に偏ったもの。呼び出しはよく聞こえるが、その分音楽も賑やかしい・・
かたや古いJBLやアルテックのモニタースピーカーなんかを店内に持ち込んでBGMを流している所もある・・
が、古いこうしたモニタースピーカーは軸線上で音楽をモニタリングすることを目的にしているため、その線上ではあまりに音楽が生々しすぎ、目も耳も反らしたら叱られそうだ・・
かといって、軸線からずれた所では中途半端にハイファイなくせに、ぼけた音になって妙に気になる・・
さて、こうして並べてみると肝心なことが抜けていることに気がつく。
そもそもBGMって何?何のためにBGMを流さなければいけないの?
そこで、管理人なりに再定義してみた。
BGMの積極的意義:その場所の存在環境を向上させることを目的とするもの。インスタレーションや環境音楽などにその例を見ることができる。つまり、その空間の居心地を積極的に向上し、快適な環境を構築する一助とするもの。
音楽喫茶、ジャズ喫茶の場合は音楽自体が目的なので除外。
BGMの消極的意義:その場所の好ましくない音響を、BGMを駆使することでマスキング作用を利用して緩和し、併せてその場所の環境を改善するもの。店舗や図書館、事務室内などでの居住環境あるいは作業環境の改善のためのBGMなど。
まぁ、図書館などであまりに静かすぎると椅子を引く音、本をめくる音までいらいらと気になってしまうことがある・・こういうときにBGMがそこはかと流れていると確かにあまり気にならなくなる・・と言うようなことが消極的会議の例だな・・
どちらの用途にせよあくまで環境の向上、あるいは改善であって「環境」であることに着目。
つまりは主目的ではないと言うことだね・・よって意識に表層に出過ぎるのはタブーに近い。「お!そういえば音(音楽)が鳴っているね・・」と言う程度が目的にかなっているといえるだろう。
であればこそ、音も音楽も主役ではないという考え方で、選曲し、設計されるべきだ。
ところが、単に音楽が好き・・などという人がプランすると途端に音あるいは音楽が主役級になってしまい、しばしば意識の表層にしゃしゃり出てくる音にしがちである。
まず、設計から・・
スタジオモニタースピーカーをプランする・・こういうスピーカーは商品としての音楽作品の問題点がないかを探しだすのが仕事・・よって長時間リスニングでの疲れやすさを度外視してもとにかくあら探しできることが仕事。こんなものをプランしたら思考までスピーカーにとらわれてしまうのでBGMには最も向かない。ジャズ喫茶などはそれを目的に来る人が多いかもしれないので選択肢には確かに入る・・
埋め込み型スピーカーをプランする・・埋め込み型スピーカーは構内放送システムのために設計されていることが多く、中音域の明瞭度にのみ注力した設計がされている・・ある種注意を払って欲しいからそうしている設計と言っていい。そのためにはある種の歪みさえ利用している。よってこれまたBGMの主目的からはほど遠いものだといえる。が、概してこれが店舗等ではよく使われている。店舗の本来の目的からするとこれはお勧めできないのだけれど・・
ということで、BGMを真剣に考えるならある程度の帯域をゆったり再生できるが高音圧は無用。軸線をわざと出さない間接照明的セッティングをしてそれでも破綻しにくい特性のスピーカー、が向くと言うことが言えると思う。
BGMに関しては間接照明のデザイン法が非常に参考になると思う。
通常の音楽シーン、伝達シーンでは直接照明的手法が有効であるが、BGMとして考えた場合は間接照明に多くのヒントがある。
次にBGM素材に関して。
BGMの目的は環境の向上にあるのであって音楽そのものを聴かせることではない・・
で、前にも述べたが日本語と言うのは日本人にとっては特に左脳の占有率の高いものだ。
だから日本語が聞こえると思考やその場での会話をきわめて邪魔される率が高い。
ということは、セールスしている所で他の日本語の歌などが聞こえると言うのは、聴いている人の脳を強引にBGM側に引っ張ってしまう率が高いことになる。
ということで日本語の歌詞の歌はすべてBGMとしてはNGと言える。が、概してオーナーが好きだからと言う理由で日本語の歌をかけている率が高い。
何のためにBGMを掛けているのかと言う理由を間違えてしまっている例だ。ついでに言うと英語であっても他の言語であっても歌は概して良くない。
もっとも、長居して欲しくない・・という作戦で使うのは有りかも・・
さらによく知っている曲・・というのもついつい鼻歌にしてしまったりするので具合が良くない・・
消極的意義の項で述べたようにBGMの大きな目的は、その場の主たる目的を達成する補完的目的。例えば事務室であれば本来の業務を効率良く、気持ちよく進めるため。店舗であれば高いセールスがのぞめることであって、それを邪魔したのでは何のためのBGMか?と言うことになってしまう。
ということで、こうしたことを考え合わせたときに、インストものの環境音楽的なものが向くと言うのが割り出されてくるのだが・・
ここがまた人間の悩ましい所で、こういうものばかりでは必ず逆に苛つくと言う人も出てくる・・刺激がなさ過ぎると駄目と言う人ね・・(自分もその一人かも・・)
そうそう、郊外型大型店に行くと店の宣伝音楽を繰り返しかけているところが多いのだが・・これはある種洗脳に近い効果(まぁサブリミナルとまでは言わないが・・)を発揮するので、個人的には願い下げにしたい・・でも多いよね・・
ということで、たかがBGM、されどBGM・・諸兄は如何お考えでしょうか?
だからオーナーのセンスや選曲が光るのだとは思う・・
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